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清和天皇による「減税」
From 藤井聡@京都大学大学院教授
大災害が多発し、 首都直下地震や南海トラフ地震がリアルに予期される今、 防災、強靱化を「行う」という政治判断こそが必要である、 だから、そうした当たり前の政治判断を導く「思想」 について徹底的に議論せねばならない。
この議論の中でも特に、今の「消費増税」問題にも直結する 大変、意味深長な議論がありましたので、ご紹介差し上げます。 それは、清和天皇による「減税」のお話。
平安の清和天皇の時代、疫病や災害が連発しました。
その中でも特に酷かった災害が、貞観地震でした。
この地震は、 「千年に一度」と言われた、かの東日本大震災の「前回」の巨大地震。
いわばそれは、平安版・東日本大震災。
この地震の一報を受けた清和天皇は、これを即座に「天罰」と捉えます。
つまり、この巨大災害は、 「自分自身の不徳の致すところの帰結」として、天からの戒め、罰として下されたものに違いない、と感得します。
こうした「天罰」として捉える伝統は、古来から繰り返し見られるものです。
例えば奈良時代の聖武天皇は、大地震や疫病、飢饉が度重なった時に、 それを天の怒りと捉え、それを鎮める趣旨も込めて、かの大仏を建立しました。
鎌倉時代では、日蓮上人が、同じく度重なる災害は、日本人のこころの乱れを反映したものだと説きましたし、
近代では、関東大震災の折に、思想家の内村鑑三や、財界の渋沢栄一、詩人の北原白秋らがこぞって、近代日本の在り方に対する「天罰」に違いないとそれぞれの立場で論じています。
こうした日本の伝統の中で清和天皇もまた、「天人感応説」あるいは「天人相関説」と呼ばれる、
「天災は為政者の不徳に対する天罰である」
という考え方を唱えていたわけです。
「天罰」というと、何やら非科学的だ―――と考える向きも多かろうかと思いますが、 よくよく考えると、天罰と捉える伝統の「機能」に着目すると、きわめて合理的に政治の「改善」を果たす、至って「実践的」な思想だ、という側面が見えてきます。
なぜなら、その地震や台風で人が死に、街が破壊され、その被害が拡大してしまうのは、 その「備え」が不十分であり、かつ、社会や経済のありようが「脆弱」であったからです。
だから、巨大な天災の被害を目の当たりにした為政者は、自らの政治の不十分さに思いを致し、深く「反省」し、社会のあり方を改善していく努力を始めなければならないわけです。
そして、そうした反省と、改善努力は、為政者が、それを「天罰」と捉えれば捉えるほど、 大きくなります。
しかし、それを天罰と捉えず、単なる「アンラッキー」と捉える様な下劣な為政者は、 どれだけ被害が大きくても、何の反省も、改善努力もしません。
つまり、その災害を天罰と捉えるのは為政者として誠に「正しき」態度であり、 天罰と捉えない為政者は、「悪しき」為政者と言わざるを得ないわけです。
こうした構図の中、清和天皇は、その災害を明確に「天罰」と捉え、自らの政治は「悪しきもの」だったと反省したわけです。
そしてその反省に基づき、清和天皇はまず、「減税」を断行します。
東北の民は困っているだろうから、年貢を取るのを控えたわけです。
あわせて、当時の蝦夷征伐(東北討伐)を中止し、「東北の復興」に当たるべしという詔勅を出します。
翻って、現代の日本の歴代政権は、こうした清和天皇の態度を未だに持っているのでしょうか?
残念ながら「否」としか言いようがありません。
東日本大震災の翌年には、清和天皇が行った「減税」とは逆に、被災者も含めたあらゆる国民から薄く広く徴税する「消費税」の増税を三党合意で決定してしまいます。
清和天皇が東北への侵攻を止めたのとは逆に、農業主体の東北の被災地に対する、 「安い外国の農産品」の侵攻を加速するTPPや日欧EPA、さらには、日米貿易協定を始めてしまいます。
それどころか、あらゆる側面で、外国勢力が「侵攻」しやすくなる方向で、 水道法や漁業法、種子法、入国管理法、IR実施法が、改訂・廃止されたり、設置されたりしています。
しかも災害は、東日本大震災だけではありません。
今年だけでも北海道と大阪の大地震、西日本豪雨や台風21号、24号がありましたし、 ここ数年の間でも、熊本地震や広島や伊豆大島の土砂災害、北九州や北関東の豪雨災害など、日本全国が被災地となっています。
そして何と言っても、過去20年の間に、平均世帯所得を130万円も下落させた、 「デフレ不況」という災害に、全ての国民が苛まれています。
もしも、清和天皇に象徴される、天災を「天罰」と捉える伝統的精神が我が政府に残存していたのなら・・・
この度重なる「災い」を契機に、自らの政治がいかなる意味で「悪政」なのかと「反省」し、その反省に基づいて、様々な「改善」がなされていたに違いありません。
しかし、繰り返しますが、我が国の歴代政府は、そうした「伝統的精神」が 全く残存していないかのように、消費増税を断行し、国民産業への「外国からの侵攻」を促す自由貿易や規制緩和を加速し続けてきたのです。
こうした現在の政府の振る舞いは、日本の伝統の見地から言うなら、
「悪政の極み」
と言わざるを得ないでしょう。
この平成の御代で、我が国国民に降り注いだ度重なる天災を「天罰」と捉えぬ政府には、 早晩、「天罰」が下ることになるでしょう。
そして、そうした「政府」を放置し続ける民主国家日本の国民にもやはり、巨大な「天罰」が早晩、下されることとなるでしょう。
そうならないためにも―――
政府を含めた我々国民一人一人が、我々を苛む天災の一つ一つを、謙虚に受け止め、自らの立ち居振る舞いの一つ一つを改めんとする、伝統的精神が今、強く、求められているのです。
これこそが、筆者が説き続けている、国土強靭化の基本思想なのです。
23/06/12
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21/12/30
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From 藤井聡@京都大学大学院教授
大災害が多発し、
首都直下地震や南海トラフ地震がリアルに予期される今、
防災、強靱化を「行う」という政治判断こそが必要である、
だから、そうした当たり前の政治判断を導く「思想」
について徹底的に議論せねばならない。
この議論の中でも特に、今の「消費増税」問題にも直結する
大変、意味深長な議論がありましたので、ご紹介差し上げます。
それは、清和天皇による「減税」のお話。
平安の清和天皇の時代、疫病や災害が連発しました。
その中でも特に酷かった災害が、貞観地震でした。
この地震は、
「千年に一度」と言われた、かの東日本大震災の「前回」の巨大地震。
いわばそれは、平安版・東日本大震災。
この地震の一報を受けた清和天皇は、これを即座に「天罰」と捉えます。
つまり、この巨大災害は、
「自分自身の不徳の致すところの帰結」として、天からの戒め、罰として下されたものに違いない、と感得します。
こうした「天罰」として捉える伝統は、古来から繰り返し見られるものです。
例えば奈良時代の聖武天皇は、大地震や疫病、飢饉が度重なった時に、
それを天の怒りと捉え、それを鎮める趣旨も込めて、かの大仏を建立しました。
鎌倉時代では、日蓮上人が、同じく度重なる災害は、日本人のこころの乱れを反映したものだと説きましたし、
近代では、関東大震災の折に、思想家の内村鑑三や、財界の渋沢栄一、詩人の北原白秋らがこぞって、近代日本の在り方に対する「天罰」に違いないとそれぞれの立場で論じています。
こうした日本の伝統の中で清和天皇もまた、「天人感応説」あるいは「天人相関説」と呼ばれる、
「天災は為政者の不徳に対する天罰である」
という考え方を唱えていたわけです。
「天罰」というと、何やら非科学的だ―――と考える向きも多かろうかと思いますが、
よくよく考えると、天罰と捉える伝統の「機能」に着目すると、きわめて合理的に政治の「改善」を果たす、至って「実践的」な思想だ、という側面が見えてきます。
なぜなら、その地震や台風で人が死に、街が破壊され、その被害が拡大してしまうのは、
その「備え」が不十分であり、かつ、社会や経済のありようが「脆弱」であったからです。
だから、巨大な天災の被害を目の当たりにした為政者は、自らの政治の不十分さに思いを致し、深く「反省」し、社会のあり方を改善していく努力を始めなければならないわけです。
そして、そうした反省と、改善努力は、為政者が、それを「天罰」と捉えれば捉えるほど、
大きくなります。
しかし、それを天罰と捉えず、単なる「アンラッキー」と捉える様な下劣な為政者は、
どれだけ被害が大きくても、何の反省も、改善努力もしません。
つまり、その災害を天罰と捉えるのは為政者として誠に「正しき」態度であり、
天罰と捉えない為政者は、「悪しき」為政者と言わざるを得ないわけです。
こうした構図の中、清和天皇は、その災害を明確に「天罰」と捉え、自らの政治は「悪しきもの」だったと反省したわけです。
そしてその反省に基づき、清和天皇はまず、「減税」を断行します。
東北の民は困っているだろうから、年貢を取るのを控えたわけです。
あわせて、当時の蝦夷征伐(東北討伐)を中止し、「東北の復興」に当たるべしという詔勅を出します。
翻って、現代の日本の歴代政権は、こうした清和天皇の態度を未だに持っているのでしょうか?
残念ながら「否」としか言いようがありません。
東日本大震災の翌年には、清和天皇が行った「減税」とは逆に、被災者も含めたあらゆる国民から薄く広く徴税する「消費税」の増税を三党合意で決定してしまいます。
清和天皇が東北への侵攻を止めたのとは逆に、農業主体の東北の被災地に対する、
「安い外国の農産品」の侵攻を加速するTPPや日欧EPA、さらには、日米貿易協定を始めてしまいます。
それどころか、あらゆる側面で、外国勢力が「侵攻」しやすくなる方向で、
水道法や漁業法、種子法、入国管理法、IR実施法が、改訂・廃止されたり、設置されたりしています。
しかも災害は、東日本大震災だけではありません。
今年だけでも北海道と大阪の大地震、西日本豪雨や台風21号、24号がありましたし、
ここ数年の間でも、熊本地震や広島や伊豆大島の土砂災害、北九州や北関東の豪雨災害など、日本全国が被災地となっています。
そして何と言っても、過去20年の間に、平均世帯所得を130万円も下落させた、
「デフレ不況」という災害に、全ての国民が苛まれています。
もしも、清和天皇に象徴される、天災を「天罰」と捉える伝統的精神が我が政府に残存していたのなら・・・
この度重なる「災い」を契機に、自らの政治がいかなる意味で「悪政」なのかと「反省」し、その反省に基づいて、様々な「改善」がなされていたに違いありません。
しかし、繰り返しますが、我が国の歴代政府は、そうした「伝統的精神」が
全く残存していないかのように、消費増税を断行し、国民産業への「外国からの侵攻」を促す自由貿易や規制緩和を加速し続けてきたのです。
こうした現在の政府の振る舞いは、日本の伝統の見地から言うなら、
「悪政の極み」
と言わざるを得ないでしょう。
この平成の御代で、我が国国民に降り注いだ度重なる天災を「天罰」と捉えぬ政府には、
早晩、「天罰」が下ることになるでしょう。
そして、そうした「政府」を放置し続ける民主国家日本の国民にもやはり、巨大な「天罰」が早晩、下されることとなるでしょう。
そうならないためにも―――
政府を含めた我々国民一人一人が、我々を苛む天災の一つ一つを、謙虚に受け止め、自らの立ち居振る舞いの一つ一つを改めんとする、伝統的精神が今、強く、求められているのです。
これこそが、筆者が説き続けている、国土強靭化の基本思想なのです。
私は、立地と高精度/売上予測で「不振店」を根絶します。
有)ソルブ 林原安徳
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