見え「過ぎ」ているも良くない。

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見え「過ぎ」ているも良くない。

立地について,視界性・看板

2019/06/03 見え「過ぎ」ているも良くない。

 

 

どの程度、見えていたら、「見えている」ことになるのだろうか?

ファストフードやコンビニエンスストアなどのチェーン店、チェーン店でなくとも、ラーメン店や風俗関係の店は、これでもか、これでもかというふうに、看板を付けている。夜間は店全体が大きな照明器具になったと思えるほどの明るさで、ひじょうに良く目立っている。

では、どんな店もそのようにしなければ、見えることにはならないのか。

とんでもない。そうやってひじょうに目立っている看板や外装をしている店を、一方ではいまいましく思っている人もいることに私達は思いを馳せなければいけない。
昨今、住宅や都市の景観を乱すという理由で家屋、ビルについての形や色、高さなどについて訴訟沙汰が絶えないことは知っての通りだ。
国立(くにたち)の高層マンション、皇居お堀端の赤くペイントされたイタリア文化会館(写真)、そして、吉祥寺に建築中だった高名な漫画家の赤と白の縞模様ペイントの家屋。

イタリア文化会館

もちろん、以前から鎌倉や京都のような観光を優先する「風致」地域では、看板などの扱いはとても厳しかった(こういう地域のマクドナルドは、茶色い看板だ)。

最近ではどこでも、「目立つ」ことが、ともすると「景観を乱すこと」とイコール(同じ)に受け取られかねないということを承知しておこう。
実際、目立ち過ぎているがゆえに、周辺の住民から大きな反発を受け、客足が遠のき、結局撤退せざるを得なかったという店がある。
それも少なくないことを筆者は知っている。

今、ある大手のコンビニチェーンが、「見えること」のあり方を変え始めた。
今までの常識では、「見えない」部類に入るような看板を使い始めたのだ。
それで、売上げが下がっているどころか、むしろ、住民からは好感を持って迎えられているようだ。
そもそもコンビニがあそこまで明るく大きくけばけばしい看板を付けるようになったのは、日本が初めてではないかと思う。
本家のアメリカへ行けば、日本ほど明るいコンビニやファストフードはないことに気づかされる。
日本は、やり過ぎだ。

衝動来店の客が大部分を占める店なら仕方がないにせよ、しっかりと固定客を掴み、目的来店の客がほとんどなら、看板は「目印として、店を容易に見つけることができる」くらいで十分である(いけないのは、店の直前に来ても「まったく見えない」、「きわめて見つけるのは困難」という場合だけだ)。

看板や店の外装を考えるときは、周辺環境をよく見て、目立ち「過ぎ」ないことも重要だ。

 

 

 

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