店が見えないということは、店が存在しないことと同じ

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店が見えないということは、店が存在しないことと同じ

立地について,視界性・看板

2019/05/31 店が見えないということは、店が存在しないことと同じ

 

 

すでに、良い立地:繁盛する立地とは、TGまたはTGの間の動線上にあり、「視界性」が良いこと、すなわち、自然によく見えることだと説明してきました。
ところが、これに異を唱える社長がいらっしゃいました。
「先生、ところがですねえ、まったく見えない立地で大繁盛しているお店があるのですよ」

 

 

 

早速、その店に行くことになった。すると確かにその店は見えない。
見えないどころか、表通りからはその気配さえ感じさせない。
大きなビルの中に一度入り、裏口に出る。すると、線路脇の道路に出る。

 

 
道路というより、空中の渡り廊下のような路地。
そこを20メートルほど進むと、とある建物の壁に突き当たる。
そこに高さ150cm.くらいの木戸がある。木戸の脇には何もない。
もちろん、看板もない。しかし、その社長は何のためらいもなく、その木戸を開ける。すると中から、「いらっしゃいませー」の声。紛れもない居酒屋だ。
「どうです。驚いたでしょう」、その社長は満足げであった。

 

この居酒屋のような立地、そう、あのバブル全盛期に流行った立地である。

 

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あの頃、「これからの商売に立地は関係ない」「立地は、分かりづらければ分かりづらいほど、とりわけ若者が来てくれるものだ」という立地論(?)が声高に主張され、こういう立地を「隠れ家的立地」と呼んで多くの店舗プランナー・設計者・デザイナーたちが珍重したものだ。
その典型的な地域が、自由が丘だった。

 
自由が丘には、それこそそこらじゅうに「隠れ家的立地」が出現し、分かりづらい場所が飛ぶように契約された。

 

しかし、どうだろうか。
この「隠れ家的立地」は、本当にあるのだろうか?言い換えると、どんな業種業態でも通用するという「再現性」があるのだろうか?

 

もちろん、そのようなことはない。
自由が丘の「隠れ家的立地」は全滅し、今はその跡形もない。

 
「店が見えないということは、店が存在しないことと同じ」。これが正しい。

しかし、「隠れ家的立地」では、一見、これが通用しないように思える。
だからと言って、誰もが真似しても良いということはない。
客が客を「とっておきの場所にある店」を連れてくる。連れてくるには、その店に、大きなユニークさ、素晴らしさがなければならない。
単に「分かりにくい場所にある」というだけでは、連れていけない。

 

また、「分かりにくさ」といっても、限度がある。どこから、その店に至ることができるのか、その情報が覚えやすくなくてはならない。それをランドマークという。
このランドマークさえもなければ、お客は二度とお店に来ることはない。これが、普通の常識だ。

 

確かに「店を探す楽しみ」というのもある。でも、肝心のその店が失望に変わる。
失望したら、もう二度と来店することはない。

さらに、「地理オンチ」という人はけっこう多いものだ。
そうした人でも、お店に来てもらい、お客になってもらえるためには、やはり「分かりやすい立地、視界性の良い立地」に出店しなければならない。
それが、立地の原則である。

TG、そして、視界性評価、あるいはランドマーク。これをマスターしてほしい。

 

 

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