商圏分析の方法3 御徒町の地域特性 商業界 

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商圏分析の方法3 御徒町の地域特性 商業界 

商圏

2017/11/01 商圏分析の方法3 御徒町の地域特性 商業界 

御徒町の地域特性 商業界 

60年代、70年代の高度経済成長下における御徒町・上野エリアは、北日本からの多くの人々が流入してくる「北の玄関口」として、また、動物園が珍しかった時代のレジャー地として、あるいは、博物館・美術館・公園・東京芸大などの文化施設が集まる学びの地として長らく特別な地域であった。

商業的にも、上野は東京にしかない「超広域マーケット」(注1)の一つであった。この超広域マーケットとは、単に商業集積が大きく、その影響する範囲が広いばかりではない。

街に流入する人々がやってくる範囲(商勢圏)は日本全国に及ぶ。のみならず、観光客を含め世界中から人々を集めている地域、街と言って良い。

しかし、敢えて厳しい言葉で表現するならば「立地が良いと営業を怠る」雰囲気がこのエリア全体に蔓延していたのであろうか。徐々に街は活気を失い、人々は離れていく傾向が、多くのデータから読み取れてくるのだ。

 

◆消えた地域メッシュ

1999年(以下「99年」と表記)に行われた商業統計調査の結果を元にして、小売業の年間販売額を地図上に分布させ、その額が1500億円を超える4次メッシュ(注3)のみを色塗りすると、それが東京には7カ所あった(分布1)。

ちなみに、小売業の年間販売額は、売上予測をするために用いる売上予測モデルには、人口以上に重要な要素である。

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御徒町周辺はもちろんのこと、秋葉原、東京、有楽町、渋谷、新宿、池袋である。

しかし、07年では、それが5カ所に減っている(分布2)。

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御徒町と秋葉原がなくなっているのだ。秋葉原は、駅およびその周辺の再開発事業による一時的な衰退と考えられる(注2)が、当時そうした開発がなかった御徒町周辺は一時的ではない何かが起きていることになる。

 

◆人口が増えているが商業が衰退

また、経年推移グラフ(注3)を見るならば、御徒町、新宿、有楽町、渋谷、池袋は、人口および世帯数はこの10年間で明らかに増加している。そして、新宿、有楽町、渋谷はともに、小売業販売額においても右肩上がりの増加を示している。

にもかかわらず、御徒町・上野エリアは、ほぼ直線的に「急降下」の一途を辿っている。

商店数も減り、販売額も減っている(注4)。

 

◆減少を続ける流入

人々の流入度合いがどう変化しているか、これを調べるには、JRの乗降数を見ること良い。図Cは、JR東日本によって公表された各主要駅の乗車数データをもとにして作成したグラフである(単位:千人)。(流入が多い、少ないは、売上予測においても重要なファクターとなっている)

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新宿駅、有楽町駅、渋谷駅は、少なからず増減はしつつも、傾向としてはほぼ横ばい、または増加傾向にある。低下傾向にあるのは、上野駅と池袋駅である。ただし、池袋駅はJRと並行する地下鉄が08年に運行開始したからであり、これが、流入減とは断定できない。

これに対して、上野駅にはそうした外的要因はない。東北/上越両新幹線の開業と東京駅乗り入れ開始はそれぞれ85年と91年であって、この影響はほとんど見られない。むしろ、その2年後までは増加し続けている。

94年に減少に転じ、その後、回復することなく、ズルズルと減少をし続けている。

2011年では、最盛期の20%弱も減少している。5人に一人が来街しなくなったことになる。

 

何が問題か。

 

では、御徒町・上野エリアで、このような商業の衰退と人々の流入減はどのように起きているのであろうか。これも、統計データを見ながら明らかにしていこう。

 

表Aは、過去行われた国勢調査の結果を年次別に集計したものである。

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ここに、暗示的な特徴がいくつか現れている。

 

  1. 人口は減ってきたが、少し回復の兆しがある。

御徒町・上野エリアには、多くの人々が住んではいたが、街中の人口は減少しつつある。

実際90年に75百人の住人が05年には61百人まで激減した。

しかし、その後、71百人強まで回復してきている点に注目を要する。これは、高層マンションが増えたことによって、都心への住民回帰が起きていることを暗示している。

事実、他の統計項目を見てみるとこのエリアで11階以上の建物に住む世帯が00年の269世帯から、10年の1392世帯に5倍以上増えている。

また、東京全体を俯瞰してみても、「高層マンションが05年から10年にかけて2倍以上に増えているメッシュ」の分布3と、

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「同時期に人口が20%以上増加しているメッシュ」の分布4がほとんど重なる。

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つまり、建設された高層マンションによって東京への新たな人口集中が始まったといえる。

 

  1. 外国人の数が多い。

他の超広域マーケットでは、池袋を除き、3ケタの外国人は住んでいない。新宿でさえ、百人前後である。ところが、上野・御徒町地域における外国人数は増え続けている。元々多かったエリアであるにせよ、この増加は見落とすわけにはいかない。

  1. 自営業主が減りつつある。

自営業主が多いことも、このエリアの特徴である。

しかし、近年になり、その人数が急激に減りつつある。

 

  1. さらに、表Bは商業統計調査の比較であるが、これを見ても、商店数は99年以来、急激な減少をしている。とはいえ、まだ、渋谷、池袋より多い。にもかかわらず売場面積で見るなら様相はまったく異なる。売場面積は池袋の半分以下、そして渋谷の7割未満である。さらに、来客用駐車場が増えてはいるが、その絶対数655台は、新宿の9148台はもとより、池袋の3933、渋谷の1421にも遠く及ばず、まだまだ少ない。

結果的に、上野・御徒町エリアの小売業年間販売額は、2,395億円にまで落ち込んでおり、超広域マーケットの定義の下限に達しようとしている。

このことは、冒頭で書いた通り、商圏の縮小化が起きていることを示している。

 

では、この御徒町・上野エリアの再浮上は可能であるのか?

 

それを論じるためには、統計以外のこと、すなわち街の発展にとって何が重要であるかを知っておこう。

 

事例を挙げるならば、新宿である。日本一の繁華街となった立地要因は複数TG(交通発生源)の存在とその間にある土地である。新宿にはそれがあり、街が南北東に拡大できた。

例えば、東。春夏秋冬レジャー客で賑わう新宿御苑があり、JR新宿駅との間に十分な土地があった。その間の土地にビルを建てれれば、店が潤い、街は発展する。

北側はどうか。西武新宿駅、コマ劇場、新宿区役所という大きなTGがあり、やはりJR新宿駅との間に大きな動線ができた。だから、本来なら街の分断要因になってもおかしくない幹線道路である新宿通り、靖国通りを人々はやすやすと超えることができた。

南は、JR操車場跡地に建てられたタイムズスクエアがTGになっており、ますます新宿における人々の回遊は大きくなった。

ここからわかるように、大きな街に発展するには「TGと土地」が不可欠である。

 

では、御徒町・上野エリアはどうか。

御徒町駅を中心に、東西南北を見よう。

東は昭和通りを挟んで向かい側に都会型量販店とでも言うべき多慶屋がある。しかし、その先にTGはない。南は松坂屋であろう。その跡地にはパルコが出店予定とされている。しかし、その先にもTGがない。

西はどうか。最大のTGになりうる存在は「湯島天神」であろう。ここが活きるなら、ここまで街は拡がりうる。しかし、現況はさまざまな雑居ビルが林立し、難しい状況のようだ。

北はどうか。もちろん、上野駅、上野恩賜公園、不忍池が強いTGである。

だからこそ、御徒町駅からの動線上にあるアメ横は栄えている。とはいえ、物理的にこれ以上の延伸はできない。

TGがなければ動線はできない。動線ができなければ、店は栄えず街は形成されない。

元々そこに存在している商業施設の趣を変えた所で、別の場所にTGができるわけではないならで、そのポイントのみの一時的な繁盛にならざるを得ない。

結果、現況の街の大きさは変わることはない。

一縷の希望があるとすれば、それは、西への延伸である。それができないのであれば、街の衰退に拍車をかけることになろう。果たして、その結果がわかるのは近い。

 

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注1)地理上で、マーケットとしてその規模を見ることで分類できることが分かっている。今回取り上げた「超広域マーケット」は、500m圏の小売業年間販売額が2000億円以上あることである。同様にして、500億円以上あれば「広域マーケット」、200億円以上あれば「中域マーケット」、200億円未満であれば「リトルマーケット」と呼んでいる。

 

注2)秋葉原駅周辺の再開発により一時期多くの商業施設が閉鎖されたが、その後、西口にヨドバシカメラなどの大型店が再度出店し、活気を取り戻している。2007年以降まだ地域の販売額が調査されていないため、現況における状況は未確定である。

 

注3)総務省は日本全土を東西1度、南北40分ごとに区画分類している。このほぼ長方形をなす区画を1次メッシュと呼ぶ。これは、東西と南北がほぼ80kmあるので、1次メッシュを縦横8等分することで、約10km四方の2次メッシュを作ることができる。さらに、10等分して3次メッシュ(縦横が約1km)、さらに2等分して4次メッシュを作ることができる。

 

注4)経年推移の元になっている統計は3次メッシュ(1kmメッシュ)であり、次に挙げた「地域データ比較」は4次メッシュ(500mメッシュ)である。500m圏のような狭い領域を集計すると両者の値は大きく異ならざるを得なくなる。

 

注5)グラフをよく見ると「池袋」も小売販売額、商店数が減っている、が、しかし、その減り方は、上野・御徒町エリアに比べれば緩慢であり、すでに下げ止まっている状況である。

 

はやしはら やすのり

売上予測コンサルタント。有限会社ソルブ代表。東京大学卒。日本マクドナルドで売上予測調査を担当。退社独立後、独自に深耕させた「立地判定/高精度売上予測」理論をもとに多くのチェーン企業、個人起業家をコンサルティングしている。著書に『実践 売上予測と立地判定』(商業界)、『最新版 これが「繁盛立地」だ!』(同文館出版)など。昭和31年生57才。http://www.sorb.co.jp

 

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